北緯40゜の桃源郷から

ここに登場する農園は秋田市から車で約20分ほど走った山の中にある小さな農場であります。これから始まる話は、農夫に成り立てのまったく素人同然の森のぽーと家庭菜園歴ウン十年を誇るおくちゃんとその息子であるやっちゃんとの3人が自分たちの理想とする農園を作らんがために悪戦苦闘する日々の様子を綴った物語であります。

わしら怪しい開拓団(農園の人々)

目 次

農園主 おくちゃん

農業との出会い

今日はいい加減な気持ち良さにかこつけて昔の話を勝手にしましょう。私が生まれた所は山形県の農村だった。親は農家ではなくサラリーマンの道を歩み、母は公務員、父もいろんな曲折はあったものの最後の15年余りは公務員で生計を立てました。

それでも父は、実家が没落地主の農業だったこともあるのか小さな空き地にいろいろな野菜類を栽培し、私も休日のたびに畑の手伝いをさせられた。いつのまにか鍬の使い方や、百姓の仕事を自然と身についた。

中学になった時、本家の隣、富之君の母ちゃんに使ってない荒れ地を貸して貰い、夢中になって開墾しいろんな野菜を植えてみた。

私自身不安定な時期で、この農作業に没頭し、人生において貴重なものに思います。野菜の芽のささやき、成長の喜び、収穫の満足感など私に大きな影響を与えていただきました。そのまま百姓を続けたいと高校進学を辞退するも周りの反対を押し切れす゛高校、大学と意に反する方向へと進みました。続きは次回。

あの当時、なんで暗いイメージの百姓に没頭したのか、一つは内向性で内に籠もる性格で煩わしい事にすべて逃げたかった。もう一つは小さな種が素晴らしく成長することの神秘、飽きる事はなかったと思います。大人になっても百姓をやりたいと思っていました。高校に入ると、通学に12KM、サッカー部入部などですべて忙殺され農作業などは脇に置いてしまいました。

私は雪降ろしと稲りの手伝いが好きだった。終わった後の晩餐会で幼い私でも大人扱いで振る舞ってくれることに感動しました。学校なんてどうでもいい、早く社会に出て稼きたい。


これ以降はおくちゃんが携帯メールでつぶやいた内容であります。

哀愁 <2010/03/05>

これから新宿から夜行バスで秋田に帰る。飛行機、新幹線、近頃はすぐに早く目的地に着いてしまうが、バスで8時間かけてと昔の夜行列車を思い出す。夜、まだ知らない東京に向かうと10時間の到着まで、一睡もできずにいたことを思い出す。故郷離れ未知の都会に行くことに異常な興奮といつしか去ることがなんとなく哀愁を感じるのであった。

山 <2010/03/03>

私の生まれた所は山形県の田舎であるが、山中ではなく田園が広がる最上川の側であった。山も遠くはなく春に秋によく通った思い出がある。

登山するのではなく山菜採りやキノコ採りに出かけるのである。幼少の時、父親は自宅で病気療養している時期があり、頻繁に山に連れて行かれたものである。

殆どただついて歩くのが精一杯だった気がする。食事をし昼寝して起きてみると誰もいず、置き去りにされたのではと山中で大声をあげ泣いたことが記憶に残っている。

父が働き勤めた後も、休日には山に着いて行ったので山菜やキノコの名前や採取の仕方、料理の方法など自然に身についてしまった。今となっては私の大きな財産であり生活の幅が広くなったと感じる。たいへん感謝ものである。

山菜採り <2010/03/02>

3月になると心がワクワクしてくる。寒く暗い冬が終わり、閉じ込められていた心と体が自由になることの喜びを自然に受けとめるのであろう。

いちばん早く春を感じるのは、雪の間から芽を出した黄緑色の蕗のとうである。これを千切りにして味噌汁に散らしていただくと、あの若く苦い香りがなんとも言えず、春の到来を知らせてくれるのである。

次に出てくるのはアザミの芽、あかざの芽、こごみなどでかる。アザミは殆ど味噌汁の具として食べた。まだなにも青菜がない時期新鮮な記憶がある。

あかざの芽はイタドリとか地方で色々な呼び名があるが、私はあまり馴染みがない。一度採取してきて茹でたらベタベタになって食べる気にならなかった。後で聞いたら長く茹でたらダメでさっと堅茹でするのだそうな。ちょっと長くなったものを漬け物で保存したものも大変おいしいとのことなので再度挑戦しようと思う。

こごみはゴマ和えなどポピュラーな山菜である。父親もこれが好きでよく摘みに行ったものだ。暖かくなるにつれてたくさんの山菜がいっぺんに出てくるようになる。ほんな、しどけ、あいこ、ぜんまい、うど、におさく、ささた゛け、みずなどが一斉に出て山菜採りの最盛期にはいる。やや遅れてワラビの出番になる。続きはまた!

ウォーキング<2010/02/27>

今日は早朝から雨天で散歩が出来ないのでメールを打っている。散歩が楽しく続ける秘訣、注意事項、なにも技術的な事や事後の効果を語るつもりはない。失敗せず嫌いにならない事が大切です。

まず、30分以上の散歩の時は出かける前にトイレに行く事、途中でトイレを見つけようするとなかなか見つからず悲惨な状況になる場合が多々あります。また事前に途中のトイレを確認をしておくと安心できます。

トイレが一番で次に天気の状況です。今は大丈夫でも雨の可能性がある時は、必ず雨具を携帯することは絶対です。靴もたいへん重要です。とにかく歩きやすいものを。足の爪の手入れをしましょう。長く歩くと爪が引っかかって足指を痛め歩けなくなることがあります。その場合、カットバンを携帯しておくと助かります。

靴下は厚めのもがよろしいようで。またティッシュは必ず、鼻から息をしないと長距離は保ちません。公衆トイレにペーパーがない場合が多々あります。さらに必需品としては携帯、小銭、水分、タオル小、地図など、地図があれば行き先を変更したり自由に行動でき便利です。

還暦<2010/02/27>

去年の健康診断はメタボや血糖値が高めで脂肪肝、目も高齢化の弊害があることが提示されさんざんであった。これはまずいと一念発起し、目は別として健康回復と体力向上のため日々努力することにした。

食事は昼以外は自炊で野菜、タンパク質中心で糖分、炭水化物は採らないことにし、毎日、一万五千歩を目標に歩くことにし6時30分のテレビ体操を1日の基軸にし行動している。

食事を減らさず、減量と体力増強を同時にやろうとするかなり欲張った方針であるが、公表する事で頓挫するリスクを減じようと考えるものであります。若い頃は毎日のように暴飲暴食や不規則な生活に明け暮れており、長生きしたいとか健康に気遣う事など殆どなかった。そこそこ生きたら苦しまずポックリ逝きたいものだと生意気にも潔さみたいなもの求めていた。

来年は還暦になる今、長生きしたい。それも健康で。死ぬまで百姓のできる体でいたいものだ。年をとるに従い往生際が悪くなるものである。

キュウリ<2010/02/24>

これは果採類の中でも比較的簡単であり美味しい。種類は色々あるが大抵よく育つので好みに合わせて作ればよい。

以前は時間も取れたので、棚を作って弦ありのものを栽培していたが、今は籾殻を敷き地這えで対応することにしている。地這えの場合、地面と接触するので全部緑色にならないが味にそんなに変わりはない。

肥料はぼかし肥で充分対応できるが乾燥防止に藁などの有機物でマルチを心掛けたい。寒さにも弱いので始め数本の苗を購入し早期の食用に間に合わせ、同時期に種をまき後の収穫に備えます。

二三回種を蒔くと秋遅くまで収穫できます。収穫は早め早めにもぎ取りすぐ大きくなりサラダ、漬け物には使えなくなります。デカくなったときはかわを剥き煮物にすると美味しい。

キュウリは夏、温度の上昇に合わせて沢山の量が収穫できビックリするがとても消費出来ないので塩漬けにし保存します。塩は白くなるほど振るとカビが生えず臭いもない。また重しもしっかりしておくとパリパリとした歯ごたえ感が素晴らしく、冬場の保存食に最適である。

パニック状態<2010/02/21>

農業をやっていると仕事や天候などでやらなけばいけない事がいっぱい溜まりパニックになり、逆に農場に行くのが億劫になります。何も作業しないで見るだけでもと勇気をふるい現場に行くとやっぱりただ戻っては来れず草取りなど始めてしまう。草取りも手抜きしているとすぐ大きくなり頑丈に根がはり手に負えなくなる。

まだ芽がでた小さなうちに三角ホーで軽く土を削ると次に芽がでるまでかなり時間を稼げる。藁や葉類をかぶせるのはマルチて゛肥料、水分の補給、雑草の抑制に大変有効である。私は基本的に土壌基盤を作ったら耕さないことにしている。肥料も播いたりかぶせたり土壌表面にマルチすることを基本としています。

夢やぶれて山河あり<2010/02/21>

いい言葉だと思いませんか。いろんな事で挫折したり大きなダメージを受け立ち直れないような時でもふるさとに帰れば懐かしい山々や野畑、川がやさしく迎え入れすべてを浄化してしてくれる。

ここで身体、心を癒やし、一段と大きくなり、また新たな志しをかざし世に出て勝負できる再生の機能をもっている。ふるさとの自然は有り難きかな、である。

冬も終わり<2010/02/19>

昨日、雪が降りまだまだ春は遠くと思わせているが、もうすぐ春は来る。畑は雪が消えると準備することが山ほどあり忙しい。まず春先に使うぼかし肥料作りから始める。米糠を集め鶏糞と石灰を混ぜ合わせ水を加えて発酵させる。温度によって完成の時間が変わってくる。この肥料はパラツと播いただけでも良く効き目が表れる優れものである。

次に早く芽が出て収穫するものに鶏糞をたっぷり蒔く、まずアスパラ、アサヅキ、秋に蒔いた摘み菜やエンドウなど。その次は春野菜や果肉野菜類の畝づくり、苗場の整備など時間が幾らあっても間に合わない。

どこに何を植えようかなど、一年間の計画や展開を考えるこの時が一番充実し幸福を感じる。またこの時期は、本当に好きなやりたい事がいっぱいあるのだが殆ど農作業に時間が取られてしまう。山菜採り、鮒や岩魚釣り、海釣りなど夢にまで出て来るのだが。今年は百姓生活の一環として山菜採りも取り入れようなどと考えるのだがはたして。

気付き事項、今農作業で欲しい物<2010/02/19>

「ビニールハウス」、これは欲しい、誰か中古てもよし、なかの骨組みだけでもあれば、「小型のミキサー」ぼかし肥料を作る時の撹拌、餌の撹拌など。「押し切り」藁や萱など細かく切断。「ポンプ」農機具の洗浄など。「チェーンソー」小屋作り、薪作り。「家の解体事の古材」、「間伐材」、もちろん軽トラも

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相棒やっちゃん

From 農園物語

今回の秋田農業遠征において、一番の収穫は何かといいますと、それは瑞々しいブロッコリーではなく、なんとなくパワーが出そうなにんにくでもなく、相棒のやっちゃんという若者に巡り会えたということではないでしょうか

From 農園物語
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From 太平山自然農園 秋
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森のぽー

太平山自然農園案内人畑のぽー

「太平山自然農園」の案内人をやっています。これまではPC関連やIT関連を主な仕事としておりまして、まったくといっていいほど農業には縁がありませんでした。心配なのは体を使う仕事をここ数十年の間やってこなかったので基礎体力というものがまったく無いことなのです。そんな状態でいったいどこまで農業ができるかということであります

コンピューターと農業ってまったく関係のないものだとも思うのですが、やって見ると案外身近な関係であるのかも知れませんね。これを機会にできるだけ詳しくオクちゃん農園が育っていく様子を紹介していけたらいいなと思っています。

まさかこの年になって農業をやろうとは夢にも思っていませんでした。どうなることやら先が思いやられます。

秋田県に住んでいるわけでありません。実際に住んでいるのは千葉県市川市というどちらかといえば都会といえる場所であります。また田舎暮らしなんてものに決して憧れているわけでもありません。

ここ数年以前にやっていましたアウトドアをやりたくなって、さまざまなところで野宿天幕生活を繰り広げてきました。ほとんどの場合は2泊3日ぐらいのもので満足していたのですが、

アウトドア好きが高じまして、とうとう行きつけの尾瀬桧枝岐村七入オートキャンプ場のホームページを制作・管理・運営するようになってしまいました。

それは一本の電話からはじまった

登場する人物はにわかオーナーのおくちゃんとその妻ゲンキタダコと息子のヤッちんとそしてこのサイトの案内人の畑のぽーであります。

オーナーのおくちゃんだけは長年家庭菜園を趣味としてきましたが、他の3人はまったくの素人であります。そんな素人集団に農業ができるのかどうかはまだまだ未知のことなのでありす。この写真休耕田でこれまで稲を耕作してこなかったおかげで雑草だらけの原野に戻ってしまっています。こういう光景は日本の農村部のいたるところに見られることだと思います。

農園主おくちゃんのこと

好きこそ物の上手なれとは良くいったもので、農園主のオクちゃんは、かなり若い時から農業が好きでありました。仕事の 都合上中断していたこともあったのだろうが、20代初め頃には千葉県と東京を結ぶ地下鉄東西線の見える西船橋の農地1反歩(およそ300坪)余りの畑地を借りて家庭菜園を初めていたのでありました。

当時彼はすでにゲンキただちゃんと結婚しており、長女と長男のヤッチの二人の子だからにも恵まれて西葛西の公団住宅4階の4LDKに暮らしていたのであります。

当時貸し手の農家のご夫婦はもともと地元の農家でありまして、代々彼の地で農業を営んできましたが、高齢化に伴い持っている全ての土地を耕作できずにかなりの一面を雑草に蔽われていた耕作放棄地が残っていた。

当時の西船橋・原木方面は開発の波が押し寄せてつつあったが、まだ田んぼや畑やら蓮池だのが残っていたのです。今あのオクちゃんが耕作していた1反歩(およそ300坪)の場所に行ってみても、それからの開発ラッシュによって、おそらくどこがどこなのか見当もつかないようになっています。

高層マンションが林立しており、大型のショッピングセンターが立地し、京葉道路と東関東自動車道が走り京葉線が通り、今考えて見てもなぜあのような場所で一反歩ほどの土地で百姓ができたのだろうと不思議な思いにかられてしまいます。

彼がその家庭菜園をはじまるにあたり、始めの頃のほんの少しだけ私は土起しを手伝った覚えがあります。畑地といってもそれは名ばかりであり、長い間耕作を放棄されていたので土は想像以上に固くしまり、作物植えるのに鍬で軽く掘り起こすというわけにはいかず、それぞれスコップで掘り下げる作業が必要でありました。

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とにかく現場を見に行ってみよう

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なんと農場の中に公園があるのです

ようやく梅雨明け宣言が出された7月上旬の金曜日の午後にオクちゃんの自宅に到着したのでありました。その時間にはまだオクちゃんは帰宅していませんでした。オクちゃんはまだサラリーマンをやっており、しかも東京で半年間の単身赴任で研修をしていたのであります。ですから羽田空港から秋田空港まで飛行機を使いやってくるのであります

さしづめ空飛ぶ兼業農家といったところでしょうか

一番はじめに連れていってもらった場所は、以前から知り合いの農家から借りて趣味の家庭菜園をやっていた畑でありました。広さは300坪をちょっと超えるぐらいでしょうか、農地の広さを表わす単位ではよく1町歩一反歩ということば出てきます。

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