北緯40゜の桃源郷から

ここに登場する農園は秋田市から車で約20分ほど走った山の中にある小さな農場であります。これから始まる話は、農夫に成り立てのまったく素人同然の森のぽーと家庭菜園歴ウン十年を誇るおくちゃんとその息子であるやっちゃんとの3人が自分たちの理想とする農園を作らんがために悪戦苦闘する日々の様子を綴った物語であります。

ぽーさんの農園物語

目 次

はじめての農業体験でありましたが、すっかり農業が好きになってしまいました。好きなのとそれで食べていけるのかはまったく別次元であるということも理解しました。

秋田市 仁別 藤倉水源地公園 秋もそろそろ終わりススキがひっそりと佇んでいた

位置的にいって青森県の下にあるのだから、さぞ見事な紅葉なるだろうと、初雪のふる直前まで粘ったのありますが、周囲に秋田杉という針葉樹が多いのと冷え込む時が少なかったせいか、私が期待したほどの紅葉をみることはできなかった。


From 太平山自然農園 秋

今年(2009年)2度目にこの地にやってきた時は、残暑も心持ち和らいでおり、かなり過ごしやすい季節なっていました。周囲の木々は薄黄緑色やほんのりとした橙に色づきはじめ、軽やかな風がときおり頬をかすめていきました。夢中で農作業に精をだして、日々の風景に溶けこむように暮らしているうちに、いつしか秋の気配が濃厚に漂うになり、あまり遠くない日にこの地を去らなければならないだろうという予感が頭をかすめるようになっていたのです。

気持ちは複雑です。早くこの肉体的苦痛から逃れたいという思いと、こんな素晴らしい環境からは離れがたいという思いが複雑に交差して押し寄せてくるのです。それにもうひとつの離れがたい理由は一緒に働いてきた若くて気の良い相棒やっちゃん一人を残して、自分ひとりだけが戦線を離脱するというのは、どうにも後ろめたいという思いが強かったのであります。

秋田市 仁別 藤倉水源地公園 にんにく畑

後ろ髪をひかれるような思いで太平山自然農園を後にしたのは2009年11月のはじめでありました。

その一日後に初雪が舞い降りたのでした。北国の天候はまったく油断ならないのであります。
From 太平山自然農園 秋

「先に肉体的苦痛から逃れたいという思い」と書きましたが、普通の人であったなら、農作業をするうえでそれほどの肉体的苦痛などは感じないと思います。私の場合はまったく普通ではなかったのであります。普段は運動らしい運動をまったくといっていいほどやらず、朝から夜中までパソコンの前にへばりつく生活をここ10年ほどやってきたのです。その結果、畑にでるためにお百姓さん必携の長靴を履いたとたんにその重さでふらふらになってしまい、畑の中を数十メートルあるいただけで息があがってしまうというほどの体たらくなのでありました。だから私が肉体的苦痛とか疲れたなんていってもあまり気にする必要はないのであります。ちょっと話がずれてしまいましたので、そろそろ本題に戻ります。

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娘からの電話が強力に背中を押した

いつこの地を後にすべきかと決断できずに散々迷っていましたが、別れの時はかなりあっさりとやってきました。10月最後の日にラジオの天気予報は、2日後には初雪が降るといういうではありませんか。別に初雪が降ってもそれほど不都合なことはありません。根雪にさえならなければ夏用のノーマルタイヤであっても脱出するのはわけの無いことです。しかし、月が開けて11月最初の朝に、自宅から遠く離れて寮生活を送っている高校1年の娘からの電話でありました。

From 大洗高校 マーチングバンド ブルーホークス 第35回定期演奏会

この娘からの電話は決定的でありました。この電話が引金となり、あいにく外は冷たい雨が降っているというのに、そそくさと帰路につく準備を始めたのであります。

 
「お父さん、今どこから電話しているかわかる」
「ということは、家に帰ったのか?」
「そうなのよ、インフルエンザで学級閉鎖になり、急に今日から4日間の休みになったの。だから昨日の夜急いで電車に飛び乗って12時過ぎに家に着いたんだ。この間の3日間の夏休みより多いのよ」
くったくなく娘は話し続けるのであった。娘と最後にあったのはいつだっただろう。少なくても4ヶ月ぐらいはあっていないはずであります。

From 大洗高校 マーチングバンド ブルーホークス 第35回定期演奏会

インフルエンザで学級閉鎖になったにもかかわらず、なんだか嬉しそうである。というのも普段はまとまった休みなどはほとんど取れない厳しい部活動をやっている学校の寮に入っているのです。先日の夏休みでもようやく3日間の休みが取れました。これとて昨年までは考えられないほどの長期休暇となります。今回はそれを一日も上回る休みが取れたのでありました。このような電話を聞けばもう何も考えることはありません。

かくして私は午前中に急いで荷造りをし、世話になった8畳間ほどの広さの「スーパーハウス」の掃除を終えて、昼過ぎには秋田道の上を自宅を目指して一目散に走っていたのでありました。これで今年初めての雪をみることもなく、順調に走れば後8時間ほどで自宅に帰り着いて、久しぶりの娘をはじめとして家族と会える予定であったのであります。この稿では予定であったとだけ記しておくだけにとどめておきたいと思います。

From 大洗高校 マーチングバンド ブルーホークス 第35回定期演奏会
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田んぼと畑と小屋2棟だけの農園での最初の暮らし
一番単純に生きるに最低必要なものは電気です。

この話は、2009年の7月と同年9月の2回にわたり農園を訪れ合計2ヶ月あまり滞在して「にわか百姓」を体験したことから始まります。たった2ヶ月で何がわかるのか問われそうですが、たしかに、わからないことの方が多かったのかも知れません。しかし、初めてわかった貴重なこともたくさんあったのです。

From Web

何ごとにおいても実際に体験してみることは大事なことだと思います。このような貴重な経験ができる環境を惜しげもなく提供してくれた、太平山自然農園の所有者でありますおくちゃん始めご家族の皆様そして何よりも良きパートナーであったやっちゃんには心より感謝いたします。また、いつも予告なく放浪の旅にでるのを快く許してくれている?妻にも遅ればせながらここに感謝の意を表したいと思います。

これから書いていく内容は肉体的にきついとか寂しいとか不便だとかという泣き言がたくさんでてくると思いますが、「にわか百姓」体験は基本的に実に楽しかったし、新鮮ですらありました。肉体的にきついことさえ楽しかったのです。最初のころは電気もなく乾電池のランタン2つだけの生活でありましたが、たしかに暗くて寂しい思いもしましたが、それすらも今思えば実に楽しかった思い出なのであります。

最初に農園を訪れたのは2009年の7月のことであります。7月に訪れた時は福島でキャンプをしていて、その足でどんなところなのかと様子を見にいっただけで、5日ほど滞在して帰宅したのであります。そして9月の半ばにこんどは長期宿泊が可能なように本格的な野営の準備をして秋田市郊外にある農園を目指したのでありました。

そもそも秋田県なるところは、私が生まれ育った山形県に隣接していながらも、数えるぐらいにしか行ったことがなく、それも滞在するというのではなく、通りすがり的に通過するといったことぐらいしかなかったのであります。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

東北の人はいつも東京だけをみて暮らしていました。だから山形よりも北に位置する秋田とか青森とか隣接する他の県なんていうものは、まるで外国のように思われなんの興味も関心も示さなかったのであります。それは今でも変わりないように思います。ただ現地のテレビを見ていると以前よりは各県で東北全体の話題を多く提供しているように感じられます。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

実家のある山形から田舎者のあごがれの東京へ出て、やがて千葉県市川市に落ち着いたのでありますが、つい最近まではやはり、いつも東京をみて暮らしていました。職場も東京であったし、川をひとつ渡ればそこには東京であります。埼玉都民とか千葉都民とかいわれていますが、私の場合もまさしくそのとおりで、県庁所在地の千葉市なんていうところには数える程度しかいったことがありませんし、あえて行こうと思ったこともないし、何の感心もないといったところでしょうか。それに「森田なんとか」なんていうウスラバカが県知事になってからは千葉県という言葉を口にするのもなんだか恥ずかしいような気にさえなっています。それでもいつしか東京はあえて避けるようになっており、感心のある場所は福島県の奥会津であったり、長野であったり、新潟・岩手・山形と寂れてしまう一方の地方の方だけが目に入ってきています。これも年齢を重ねたせいなのでしょうか。それとも東京というおおいなる幻想に幻滅したからなのでしょうか。

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なんとはじめから諦めていた電話とネットが繋がるではないか。このヨロコビを誰に伝えようか

まったく知らなかった土地での独り暮らしであっても、以前の世界とは様相はまったく違うのであります。山々に周囲をを蔽われていても、携帯電話だけは通じます。電話が通じるだけでなくインターネットにすらつながってしまうのです。話をしようと思えば、ダイヤルを回せばすぐになんの障害もなく、家族、知人とあっけないほど簡単につながってしまいます。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

電話についていえば、毎月の固定費を抑えるために、私と妻と娘はPHSを使っているのです。家族間通話とかPHS同士は無料というやつです。これは確かに経費を安く抑えるには役立ちますが、それには致命的な欠陥があります。それはなかなか繋がらないというものです。繋がるエリアが狭いといいますか、とにかくドコモなんかに比較するとお話にならないぐらいにちゃちいものなのです。でも月に何万円ものお金を電話料金に費やすという発想がありませんし、肝心な予算が無いのですからこれは仕方がありません。

農園に行ったころは、自分のPHSは繋がらないものだと最初からあきらめていました。というのもおくちゃんが持っているドコモは繋がるのは当然としても相棒のやっちゃんの持っているauは呼び出しはされるけれども会話ができないという話だったのです。auがそういう状態であればそれ以上に非弱なPHSなどは繋がるわけがないと最初からあきらめており、試してみることもしなかったのです。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

ある時に何気なく自分の携帯電話のディスプレーをみて、我が目を疑ったのです。小さな白黒のディスプレーの中になんとアンテナがしっかり5本もたっているではありませんか。これは奇跡としか思われません。試しに無料でかけられるPHS仲間に電話をしてみたら、がっちりつながるではないですか、それは千葉の自宅でかけるよりも鮮明につながるのです。自宅は住宅街でディスプレーのアンテナ表示が5本あるにもかかわらず、時々繋がりにくくなるのです。これには驚きかつ喜びました。PHSがつながるということは、パソコンもつながるということです。

旅にでるときはノートパソコンと通信用にPHS方式でつながるWILLCOMのAIR-EDGEを用意しているのです。PHSが繋がるということは、通信用カードのAIR-EDGEもつながるということであります。確か月額980円でつなぎ放題という願ったりかなったりのものでありますが、回線速度は死ぬほど遅いという欠点があります。いくら死ぬほど遅い回線でも出先でつながるということは最高のよろこびであります。もっとも自宅にいるときには、とてもAIR-EDGEなどは使おうなんて思いませんが、旅先ではこれほどの贅沢はないのではないかとすら思われてくるのです。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

ネットがつながるということでは、電気もとおっていない、むろん電話回線なんてものの影も形もない農園にて毎日3時間から4時間を本来の自分の仕事を続けることができたのです。確かに前半は電気がなかったので、パソコンに充電するのがかなり面倒でしたが、愛車には家庭用電源が100Wを上限に電気を供給できる体制が整っていたのです。それにパソコンの蓄電池は公称8時間持つことになっており、予備の蓄電池をあわせれば合計で16時間ほどはまったく車のエンジンを回して電源を供給しなくても仕事はできたのであります。

これらのインフラは長年車中泊で放浪してまわる時に身につけたものであります。2,3日の旅行であれば、パソコンなどはむしろつながらないほうが旅を楽しむことができます。 基本的に現代人はいかに放浪していようが、ホームレスになろうが、通信と電気がなければ、どうにもならないという事実が骨の髄まで染み渡っていたのであります。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

ノートパソコンの電池につきましては、これで問題が解決したわけではありません。たとえば16時間連続で使用した場合にそれで電池の内容は0となってしまいます。通常一日か二日自宅を離れての旅行ではなんの問題にもなりません。車を移動しての旅であれば、移動中に充電すればたいがいの場合に次の宿泊地には電池1本分ぐらいは充電されていますから。しかし、少なくても3日以上同じ場所に宿泊するとなると、事情は大きく違ってくるのです。気持ちとしてはパソコンの充電のために無駄にアイドリングするというのは、どうも気が進まないのであります。なんか無駄にエネルギーを消耗してしまうように思えてもったいないのであります。

農園生活の前半では背に腹は代えられないということで、結局夕方には車のエンジンをつけて、パソコンを充電しつつ、ついでに携帯電話・ランタンのエネループ乾電池、カメラ等々の電池類をすべてつないで、ついでに夕方のテレビのニュース番組を見て補いました。おかしな話でありますが、現在の私にとって電気と通信というのは必要不可欠なものであるようであります。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

電気と通信が必要不可欠なんていうのもおかなしな百姓であります。いくらおかしいだろうがそうなんですから仕方ありません。今回のように生活の為のインフラが揃っていない場所で2ヶ月にも渡る生活をするとなると、普段のアウトドア生活なんてものは軽くぶっとんでしまうことが理解できたのであります。

電気・ガス・水道も何もない、しかし希望だけがある。

ただの田んぼだったのだから、現代的な生活のインフラを望むことにはかなりの無理があります。

まずは飲料水がありません。電気がありません。ガスは5kgのプロパンガスがありました。電話も通じました。トイレがありませんでした。当然お風呂なんてものはあるわけがないです。

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農園にようやく電気が通ったぞ

農園に電気が通った日のことを絶対に書いておかなければいけない。なぜなら生涯でこれほど感動したことはなかったっていっていいほどのことを味わったからであります。テレビは見なくても一向に構わないが、パソコンが使えないのは致命的と考えるほどのネット中毒親父ってのも私の年代では珍しいだろうと思っている。普段の生活では朝起きたときから、夜寝るまでパソコンのスイッチは入れっぱなしなのであります。いつごろからそうなったのかははっきりと覚えてはいないのですが、電気のない状態に突然置かれたときにはパニックさえ起こしかねない自分に気がついたのでありました。

農園で暮らした半分は電気のない暮らしでありました。夜になると小さな電池式のランタンふたつだけが頼りとなりますから、もう暗くなれば寝るしかなく、明るくなるまで起きないという健康的といえばいたって健康的な生活を送っていたわけであります。

農園での暮らしは2,3日のレジャーではないわけであります。何日も続く生活は、やはりそれなりの設備が整っていないと、精神的にかなりのストレスを抱え込まざるを得なくなってきます。1ヶ月近くも電気のない生活を続けるなかで、いつも、そろそろ逃げだそうかという思いでありました。なにも好きこのんでこんな原始的な生活を続けていることもないなという思いが日増しに大きくなっていったのです。

そんな時に突如として現れたのが、頼もしい男達であります。はじめスーパーハウスに電気を引くだけですから、大した工事ではないと思っていたのですが、人数にすれば12、3人はきたでしょうか、電柱も思っていた太さの5倍ぐらい太い本格的なものでありました。結構大工事なのに驚きましたが、電気がくることを心待ちにしていた私は胸躍らせてじっと工事の終わるのを待ったのです。ところが一日で終わるはずの工事は難航だったらしく、一日だけで終わらず、翌日も朝からはじめることになり、結局終わったのは日がどっぷりと沈んだあとでありました。

電気がとおってからの生活は一変しました。相棒のやっちゃんから、冷蔵庫・電子レンジ・ファンヒータ・ホットカーペット・ラジオを貰いさっそくねぐらに運び入れました。照明器具は最初からスーパーハウスについていました。もう夜の闇のなかに縮こまっている必要はありません。電池切れを心配しながらパソコンを使う必要もありません。電気が通ったころは10月になっていましたので、ちょっとだけ寒さを感じる季節になっており、山の中で独り暮らしをしていると必要以上に寒さを感じるものですが、ホットカーペットとファンヒータがあるので寒さ対策も万全であります。

誰かが農園に住んでいれば、必然的に最低の生活基盤ができあがってくるということであります。実際昨年何ヶ月かそこで暮らしたので、かなりの生活基盤ができあがってきていると思います。実際にそこに暮らして見なければ、その場所の良さも悪さも本当のところはわからないものであります。水とトイレのモンダイが今のところ一番大きいですが、これも住んでいればなんとか解決していくような気がします。電気がとおったということが何よりもすごいことで、これも実際に電気のない生活を20日あまりやっていたからこそ、そのありがたみが実感できるというものであります。人生のなかでこれほどの経験ができるなんてことはそうあることではないのです。本当に貴重な体験をしたと心より感謝しているのでありました。

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はじめの頃は農業というよりも、
原始的な土木作業をやってるに等しかった

農園はこれまで米を作ってきた水田が大半でありまして、しばらくの間休耕田として使われていなかった荒れ地が半分をしめておりました。それらを全て畑にする計画なのであります。本当は田んぼとして耕作したほうが楽なのであります。ではなぜ畑にしてしまうかといいますと、お金がまったくないからです。

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お金がないから田んぼを畑に換えるというのもおかしな話だと思うでしょう。それしか私たちが農業をやる道はなかったのです。これまで車中泊でかなりいろんなところを旅してきました。そこで感じたのは、日本国中田んぼだらけなのです。どこへ行っても広々とした田園風景が広がっています。日本人は米好きだからなとぐらいしか思っていなかったのでありますが、実際に農業をやってみるとその考え方は間違っていたことに気づかされます。

米作りが一番楽で手っ取り早くお金になるということなのです。ただしくいえばお金になったというのが正解なのでしょう。だからみんな米作りをしたのです。日本の農家はほとんどが兼業農家です。兼業農家というのは、他に職業を持って片手間に農業をやっている人たちをいうのです。要は片手間に農業をやっている人たちが90%にのぼるということであります。

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片手間農業をやるには、それなりの機械を持っていなくては駄目なのです。少なくても田植機・トラクター・コンバインを持っていなければ兼業農家はできないのです。それらを揃えるためには中古で揃えたとしてもウン百万円単位のお金がかかります、農園にはとてもそんなお金はありません。中古の軽トラック一台さえ買えないのでありますから。

そんなわけですから、機械力を極力使わないでも育てられる畑で露地栽培で野菜をつくることを選択したわけであります。しかし、田んぼから畑へ転換するといっても、そう簡単にできるわけでないことがわかった。やってみてはじめてわかったのです。ただ一旦畑にしてしまえば、それ以降の作業はそれほど体力を使うほどのことはなく、農作業事態は楽になることもわかりました。しかし問題は畑にするための畝作りが大変だったのであります。

From Web

刈入れが終わった田んぼを唯一の機械といえるトラクターで耕してからは、鍬とスコップだけで畝作りをしました。畝作りだけだったら楽だったのですが、後々作業がしやすいように、せめて軽トラックが入れるだけの道路も造り始めたのですが、これらは大変な重労働でありました。重機があれば一日か二日で終わるような作業を何日もかけて行いました。

辛かった肉体労働も最後には非力な私でもやればできるじゃないかという大きな満足感と自信にもつながっていったのです。

秋田市 仁別 藤倉水源地公園 紅葉

とりあえず作物を植える畑を作らなければいけない。これは一度作ってしまえば、その後はここを軽く耕して作物を植えるだけで済むのだけれども、この作業が一番の肉体労働できつかった。

農園にある唯一の機械力であるトラクターで取り入れの終わった田んぼを一度荒起こしをして、その後スコップと鍬を使って畝づくりをおこなった。

From Web

普段まったくといっていいほど体を動かすことのない生活を送ってきたものでありますから、いきなり農業をやるとなるともう無謀としか言いようがないように思いました。真っ先に不安に思ったのが、自分のみすぼらしい体力のことであります。もともとは肉体労働を得意としていたのだし、体ひとつで生計をたてていた時代もあったのでありますが、ここ30年ほどは、キーボードを触りただひたすらディスプレーを眺めるだけの生活だけを繰り返し送ってきたのです。その結果いつの間にか通常の軽い運動するだけでも、息切れはするは、筋肉痛にはすぐになるわでかなり深刻な状態になっていたのであります。

そんな事情ですから、体力の無さでは太鼓判が押されてしまいます。こんなことなら、もう少し意識して体力をつけておくべきであったと思いましたが、一日や二日で体力がつくなんていう甘いものではないですから諦めるしかありません。

実は農業体験をやると決まった時から、少しだけ体力を蓄えるためのトレーニングらしきことをやってみたのであります。しかし、体力をつけるということは体を動かすということでありますが、体力をつける前にうまく体を動かすことさえできなかったのであります。そこで無理に体力をつけるなんてことは諦めて、現地にてあたって砕けろ方式に変更することにしました。

秋田市 仁別 藤倉水源地公園 にんにく畑

11月に入る前になんとしてもにんにくだけは植えておかなければ来年の収穫に間に合わないと脅かされて、ぽーとやっちゃんは必死になってニンニクの植え付けを急いだのです。

どうにか、10月も終わりに近づいたころにすっかり植え付け作業が終わり、長く寒い冬に備えて田んぼのイナワラを集めてきて厚く敷いておいたのです。
From 太平山自然農園 秋

早い話が、農業においてどこまでの体力を必要とするのかは皆目見当がつかなかったし、百姓仕事をするためににわかに体力造りをするというのもかなり無理があり、気持ち的にやる気になれなかったのです。気持ちがついていかないものは成功するはずがありません。ですから、農園に到着するまでに一切の体力造りなどはしませんでした。それまで普段通りの生活を続けていたのです。それで駄目なら逃げ帰ればいいと思っていました。

最初に農園に行ったのは7月であります。予想したとおりに、長靴を履いたとたんに体力の無さを実感しました。長靴を履いて畑の中を数十歩歩いただけで息切れはするし、足はもつれて歩けなくなるしで、最初から挫折であります。

このごろになるとさすがに体もかなり慣れてはきていたのですが、気持ちだけはやる気で満ちあふれていましたが、その気持ちとは裏腹に体がいうことをきかなくなっていたのです。連日の労働で疲労が少しずつ蓄積しており、2,3日休養を取ったぐらいでは回復させるには到底無理な相談だろうという気がしていました。

From 農園物語

近頃では10分働けば10分の休憩を取らなければ、次の行動に移れないといった状態であります。立ったままでの休憩は疲れが取れないということで、小さな折りたたみ式のイスを持ち込み、畑の真ん中にどっかりと腰をおろして、ワシはこれ以上絶対にここからウゴケンカラネ状態になってしまっているのです。しかし、その休憩の時間が至極の時でありました。

疲れて動けないから仕方ないじゃないですか、といささか開き直りながら、見えるものは大きな空と周囲の景色。空にはさまざまな雲が浮かびます。これまでの人生でこれほどじっくりと空をながめ、時にそこに浮かぶ雲に目を留めたことなどあったでしょうか

都会に住んでいると、ただたんにぼーっとしていることはなんとなく罪悪感がともなってしまって、電車に乗るのにも必ず読むべき本を持ち込み一心に読みふけっていたりしている。とにかく何もしない時間の空白が怖くて、できるだけ有意義なものと思われるもので埋めようとしてきたような気がする。

ほんとうは、何もしない無為な時間を過ごすことってどんなにか大切なことなんだと教えられました。本当は疲れ果ててしまって何もできない状態に追い込まれてはじめて気づいたことなのでありますが。

From Web

最近は夕方になれば、陽が落ちるのも日一日とはやくなるようで、5時半ともになれば周囲は闇にとっぷりと包まれてしまい、小さなキャンプ用の電気ランタンで周囲を照らすのにも限界があり、それから翌朝の陽が昇るまでの10時間あまりを闇のなかで過ごさなくてはならなかったのです。

慣れない肉体労働と慣れない環境(農園にきた当初は電気・ガス・水道が無かった)のなかで、過ごした2ヶ月は思っていたよりも楽しくて素晴らしい生活であったことを認識しながらも、そう遠くない日に農園を去ることになるだろうと思っていた。

11月1日に明日は農園がある秋田市周辺に初雪が降るらしいという情報を得て、約2ヶ月にのぼる農園生活から離れたのであります。

農園から離れてからすでに半月が経ち、全身の疲れが取れて、慢性的な筋肉痛から解き放されて、現在思い出しながらこれらの文章を書いています。

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アウトドアに惹かれて

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から
From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から
From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から
From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から
From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から
若い頃には誰しも路傍に咲いている草花を観て感動はしない。というよりも始めから彼らの目には映らないのです。
若い頃には桜の花には感動しても、紅葉にはなんの関心も抱かない。
快適な住環境を手にいれているから、あえて不便なアウトドアをしようという気になるのではないかと思う。
アウトドアといえば出来合いのキャンプ場で新品のテントを張ってレトルト食品を食べるものだと思いこんでいる人も大勢いるのだ。

From 太平山自然農園 秋

ファミリーキャンプから出発したけど、今考えるとそれはとてもアウトドアと呼べるシロモノではなかったと思います。要はお金が無かったから、なるべくお金をかけないで自分が楽しむだけの手段でしか無かったのだ。
それにしてもあのキャンプ場という劣悪で醜悪な場所貸し商売ってなんなんだろうか。ここ10数年はできるだけキャンプ場なるのを避けてキャンプを楽しんできたのです。
なにもそこまで純粋なアウトドアなるものににこだわる必要はないじゃないかと思う。最近はものすごく手軽な車中泊を数多くするようになっています。

From 太平山自然農園 秋

来年以降、時間と経済とそして体力が許す限り自宅がある千葉県市川市から車で620kmほどの農園に通うつもりでいるのであります。

来年のことを話せば鬼が笑うともいいますので、来年に起きたことは形を変えて書き留めていこうとは思っています。とにかく生まれてはじめての今回の「にわか百姓」の体験記を綴っていこうと思います。

しかし、まさかねこの年になって、鍬を握るとはつゆほども思っていませんでした。しかも住まい(千葉県市川市)から遠く離れた秋田市の郊外でというのも驚きのひとつであります。

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せめてプライベートな野営場を作りたかったよ

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

農園にて農作業をやっている間はいつもどこに自分だけの野営場を作ろうかという思いが消えなかった。結局今回の遠征では、日々の農作業に追われて、予定地をきめることすらもできずに帰ってきたわけであります。ただし、今回は大型のテント1張りと大型の虫除けの網のついたタープを2張りを農機具小屋に格納はしてきたのであります。ただなにぶんにも今のところ独りでテント生活をするわけでありますから、大型のものは必要ないのです。3人用ぐらいのものを1張りはれればそれで十分だと考えているのです。

農作業をやっている間中、どこにテントサイトを作ろうかという思いが頭から離れませんでした。しかし、まだきちんとした畑もほとんどない状態では、とにかく田んぼを耕して来年の収穫を少しでもあげることが優先されてしまいます。私独りだけが農園をやっていたら、何にも優先してテントサイトを作り上げたでしょうが、仲間がいる以上口に出していうのもはばかれてしまいます。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

結果的には今回の遠征ではテントサイトを作ることはできませんでした。農作業が忙しかったというのもひとつの理由ですが、農園には一応住める場所があったというのも、そのうちに余裕ができたらという気にさせた原因でもありました。

From 農園物語

私が農園にはじめて訪れたときにはすでにトラクターやら農機具を格納しておく大きなプレハブ小屋と工事現場で見かける、長方形の箱形の通称「スーパーハウス」と呼ばれる住居が用意されていたのであります。このスーパーハウスとはどういうものかといいますと、よく工事現場などで現場事務所などに利用されているものですから、皆さんも見たことはあると思います。全体の骨組みは鉄骨でできており、ドアもアルミサッシの窓もすでにできており、いくつかのコンセントや照明となる蛍光灯もすでに組み込まれており、ユニックのついたトラックに載せて現場に運んで設置すれば電気さえつなげばすぐにでも使えるという優れものです。

From 太平山自然農園 秋

スーパーハウスなるものを使用したのははじめてでありますが、大型のテントやタープに比べてもその住み心地は比較にならないほど素晴らしいです。8畳ほどの広さに電気も使えますし、エアコンだってつけることができます。窓はアルミサッシで網戸までついているのです。もっとも使い始めた頃は農園に電気はきていませんでしが、それでも雨露をしのぐには普通の家の小型版と考えてもいいくらいのものであります。これを考え出した会社ってのはすごいと思いますね。

滞在途中からは電気も使えるようになったのですから、水道がないぐらいで、後は普通の状態に近い生活を続けることができたのであります。2、3日のキャンプであれば、それほど生活のインフラを必要とはしません。むしろ不自由であるがゆえに、創意と工夫を重ねる面白さがあるのですが、長期滞在となるとそんなことはいっておられません。なにせ毎日開墾という労働が大半を占めるようになるわけでありますから、衣食住にかける時間は自ずと限られたものとなっていくのは当然のことであります。

From うろんな日々 秋田県太平山自然農園から

居心地のいい自宅があるにも関わらず、長い間、方々のキャンプ場や車中泊で放浪をつづけているうちに、逆にいつでも落ち着けて野外生活ができる自前のキャンプ場が欲しいと思うようになっていました。自宅があるのだから、自分ちに帰ればいいじゃないかと思うかもしれないけど、どうもそうじゃないらしのです。

「自分だけのキャンプ場があったら」なんて思っただけで胸が限りなく熱くなってしまって、焦がれてしまって今にも焼け落ちてしまいそうになりますね。それを実現しようと考えているのです。誰にも邪魔されない自分だけの空間です。

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たき火をする場所ぐらいは作ろうよ

2009年の農園では開墾生活に追われるばかりで、とうとうキャンプする場所を作れなかったのですが、せめてたき火をする場所ぐらいはなにがあっても用意しなければ、農園生活する意味がないと考えているのです。

長年アウトドアもどきを体験して感じるのは、究極のアウトドアというのは農業なのではないかということです。

私のやってきた放浪なんてまったくの偽物です。車に載ってそっちこっち走り回るだけのものですから。本来の放浪なんていうものからは大きくかけ離れているものなのです。自分探しの旅にでていますなんてとってもいえません。そんなことで自分が探せるほど人生は甘くはないのであります。

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アウトドアの究極は野良仕事?

屋内にいては味わうことのできない自然自分の体力にあわせて働くことが長続きの秘訣

農業の経験まるでなしというか数年前まではまったく関心がなかった

アウトドアには関心があっても農業にはまったく関心がなかったのです。

農業をやろうと思った動機はといいますと、結構時間的な余裕(基本的にヒマ)があり、話があったときに単純に結構面白そうというものでありました。そこには田舎暮らしに憧れてとか、食の安全を求めてとか、自給自足を目指すのだなんていう一連の崇高な目的などは少しも持ち合わせていなかったのです。

From 農園物語

それにノートパソコンがAir''Hでネットにだけつながりさえすれば、一応仕事には影響しないことがわかっていたのです。それというのも時に発作的に車に寝袋やパソコンを積み込んで放浪の旅に出るのが趣味みたいなものでしたから、のべにすれば一年の3分の1ぐらいは東北や北海道を中心にして車中泊の旅を楽しんでいたのです。

最近はキャンプというものにも目覚めまして、テントを貼るきちんとしたアウトドアも楽しむようになってきていたのです。子供達が小学生のぐらいまでの間は毎週のようにキャンプにでかけておりまして、周辺のキャンプ場はほとんど制覇したゆな感じになっていましたが、子供達が成長するにつけて、それぞれの世界を持つようになり、なかなか一緒にファミリーキャンプには出られなくなり、必然的に私もいつしかアウトドアから遠ざかっていったのであります。

私自身はまったく農業経験がないかといえば、小学生の頃までは母の野良仕事に時々ついていった覚えがあります。

From 太平山自然農園 秋

この話を書き始めたのは2009年7月ごろのことであります。その頃はまだ本格的に農園を稼働させていないのです。稼働させていなかったなんていかにもすぐに農業ができそうな書き方ですが、まだ実際に農作業をやっていなかった頃の書き出しでありまして、後に農作業をやってみますと、稼働させるなどという流ちょうな話でないことを少しずつでありますが理解していったのであります。

オクちゃんの長男やっちんだけが一応専従者として水田の管理をやっているだけなのあります。本格的に始める時期はまだ具体的に決まっていないのです。その一番の理由はオクちゃんがまだ現役のバリバリのサラリーマンであることが大きな原因であります。しかも、秋田を離れて全国を回る旅ガラス生活を送っている最中なのであります。オクちゃんを除いてのメンバーはまったくの素人なので何も手を出すことができないのであります。

From 太平山自然農園 秋

一年ぐらいの目安でいます。ですから、これから時を経ることによってもっともっとたくさんの出来事があり、それらの話をたくさん書けることだろうと思っています。

このサイトを作りはじめた頃は、まだ実際に耕作をしたことがなかった時期であります。2009年の6月ごろであります。ですからたぶんこうなるだると予想して書いたものが大半でありましたが、実際に秋田市郊外にある農園に泊まり込み農作業を体験してきました。

これからは実際の体験をもとにして書き進めていくことにします。そこには多くの失敗と少しの成功があると思います。この稚拙な筆力では、どこまで表現できるか甚だ心許ない気がしますが、それはまったく気にしないで書き進めていこうと思っています。

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景色の色合いがまったく違う

空気がきれいなのか、どうかは不明だが目に映る風景の色合いがとにかく新鮮なのである。広い青空に変わった雲が浮かんでいる。

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熊がでるから注意をしろといわれてもね

From 農園物語
From 農園物語
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ありがたいことに近くに日帰り温泉があった

From 農園物語
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From 農園物語
From 農園物語
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ここでは車で5分ほど走ったところにある超特大な日帰り温泉ざ・ぶーんの紹介をしておかなければならない
そしてその温泉を中心に広がる太平山リゾート公園の紹介も是非ともやっておきたい。

キャンプや車中泊で旅するときは必ず日帰り温泉があるところで宿泊するか、温泉の近くに滞在することにしています。普段は風呂に入るのが嫌いなのでありますが、これは自分でも不思議に思うことであります。とにかく最初に温泉ありきなのであります。

最近は地域興しだかなんだか知りませんが、日帰り温泉は急激に増えています。だから旅先で温泉探しに困ったということがありません。むしろこんなにたくさんの温泉が乱立していて大丈夫なのだろうかと思ってしまいます。余談になりますが、私の住む千葉県には案外良質な日帰り温泉なるものが無くていささか残念に思うことがあります。

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買い物は超便利まるでSFの世界にいるようだ

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ナビのない車で秋田市内にでて、
たちまち迷子になったぞ

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農園には結構人がくるのだ

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菜の花を植えた、山椿の種を植えた。紫陽花も植えるぞ

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秋田農協中央支店なるものにやっちゃんと二人で相談に行ったっけ

そこで発見したのが株式会社 高井南茄園(たかいなんかえん)です。
住所:秋田市卸町3丁目5番7号
電話:018-863-1351 牧草担当:白土さん TOP

2009年の農園物語を書き終えて

この稿を書いている時点ではまだ、今年の農園でのできごとを全部書き終えたわけでありません。まだまだ未完成な部分も多く残っていたり、書き足さなければいけない部分もたくさんあります。

今、12月の半ばであります。農園から離れて1ヶ月が過ぎました。比較的温暖な千葉県市川市にいても結構寒さを感じる季節でもあります。農園のある秋田県などはもっともっと寒いだろうと想像しています。まして農園は秋田市内よりも山の中にありますから、その気候はより厳しいものだと推測されます。たぶん車で農園に入れるかどうかといったところだろうと思います。

年が明けて雪が消えて車で農園に入れるようになったら、すぐにでも現地に向かいたいと思っているのです。短いあいだでありましたが、それほど農園での生活が素晴らしかったのであります。

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